CASE 03 / UNSEEN WATER
見えない水を
追う。
何度調べても、問題はない。それでも魚は死んでいく。
ある養殖場から相談を受けた。
飼育している魚が痩せていき、感染症を起こして死んでしまうという。
一度きりではなく、繰り返し起きる。
近隣にも同じような養殖場があるが、そこでは問題が起きない。
同じ海域から海水を取り込み、魚を育てている。
何が違うのか。何度会議を重ねても、魚体と向き合ってもわからない。
魚体を大学に送って調べても、感染症を原因とする死亡ということ以外、何もわからなかった。
もはや何をすればいいのかわからない。社員は疲弊していた。
ついには「何かの祟りではないか」とまで言われる騒ぎになっていた。
「供養碑には、よく手を合わせに行きます」
担当者にそう言われて、これはなんとかしなければ、と思ったことを今でも覚えている。

調べても、何も出てこない
まずは、飼育環境をひとつずつ見ていった。
餌、水温、水質、流速。
底床に使われている砂の材質や粒の細かさ。
飼育密度や設備の構成。日々の管理ノート。
魚体にストレスを与えそうなものを、とにかく洗い出した。
何度も養殖場へ足を運んだ。水を測って、設備を見て、魚を見る。
管理方法を聞く。しかし、これといった問題が見つからない。何らおかしくない。
私が通い始めてからは、魚もそんなに悪そうには見えなかった。
「ある時、突然やってくるんですよ」
担当者はそう言う。
本当に問題が起きるのか?
こちらがそう疑うくらい、平穏な状態が続いた。

ある時、突然やってくる
そんなある日、電話が鳴った。
「魚がおかしい」
悪化の初期状態は見たい。しかし、養殖場はすぐに行ける距離にはない。
とにかく魚の写真と、水質測定の結果を送ってほしいとお願いした。
送られてきた水質の数値を見る。
何もおかしくない。
一方、魚体の写真には、当時の写真の解像度でもうっすらと変化が見て取れた。
感染初期独特の、うっすら膜を張ったような感じ。
水には何も出ない。
設備にも異常はない。
それなのに、魚だけがおかしくなっている。
誰かが意図的に病原体を投じているんじゃないか。
そんなことまで疑うくらい、頭を抱えたのを今でも鮮明に覚えている。
何を見落としているんだろう。
もう一度、最初から
もう一度、最初から洗い直した。
餌を疑う。
問題はない。
水温を疑う。
問題はない。
水質を疑う。
問題はない。
水流を疑う。
問題はない。
砂を疑う。設備を疑う。
それでも、決定的な異常は見つからなかった。
もちろん、取水口の水質も訪問するたびに確認していた。
この施設では、基本的に海から汲み上げた海水を、そのままかけ流しで使っている。
海水を使っている。
そのこと自体を疑う理由は、普通ならない。
取水口は海にある。そこから吸い上げている。
測定しても、普段は悪い数値が出ない。
だから、こちらもその前提で考えていた。
海水のはずだった
ところが、ある日。
いつものように取水口の水を測った。
数値がおかしい。塩分濃度が低い。
最初は測定器を疑った。当然だ。
海から取っている水なのだから。
測定器は校正済みだった。
もう一度測る。低い。
取水口を変えたわけでもない。
施設長にも数値を見せた。
信じられないという顔をしていた。
無理もない。海水を汲み上げているはずなのだから。
それが、よもや淡水の影響を強く受けた水になっているとは、誰も想像していなかった。
では、この水はどこから来たのか
しかも、この養殖場は河口のすぐそばにあるわけではない。
さらに河口に近いところにも別の養殖場がある。
もし河川からの淡水が単純に広がっているだけなら、そちらの方が先に影響を受けそうなものだった。
ところが、そちらの水は悪くない。
では、この水はどこから来たのか。
ここから、施設の中ではなく、海そのものを見ることになった。
水を追う
河口から浮きを流した。
表面だけを見てもわからないので、重りを変えた。沈める深さを変えた。
水面近くを流れるもの。
少し沈んだところを流れるもの。
さらに深いところを流れるもの。
条件を変えながら、水がどちらへ動くのかを追った。
同じ海に見えても、水は全部が同じ方向に流れているわけではない。
潮の向きが変わる。
流速が変わる。
深さによって動きが変わる。
そこに地形が加わる。
そして河口から流れ出す水の量も、いつも同じではない。
雨が降れば変わる。
上流の状況でも変わる。
海水と淡水は、接した瞬間にきれいに混ざり合うわけではない。
淡水は海水より密度が小さい。
条件によっては、淡水の塊や層が海水の中をまとまって移動する。
見た目はただの海でも、その中では塩分の違う水が重なり、動いている。
条件が重なったときだけ起きる
調べていくうちに、ひとつの流れが見えてきた。
潮の流れ。海底や沿岸の地形。河口から排出される水量。
水深。その時々の流向。
そうした複数の条件が重なったとき、河川から流れ出した淡水が海水と十分に混ざりきらないまま、
特定の経路を通って養殖場の取水口付近まで到達する。
起きていたのはそういうことだった。
だから、もっと河口に近い養殖場では問題が起きない。
単純な距離の問題ではなかった。
そして、毎日起きるわけでもない。
普段は何も問題がない。
だから測っても正常。
施設を見ても正常。
魚が調子を崩してから現地へ行って測ったところで、そのときにはもう元の海水に戻っている。
年に数回なのかもしれない。もしかすると断続的に、淡水の塊が定期的にやってきていたのかもしれない。
それを、たまたま測定したその日に捕まえた。
それまで「問題なし」と判断していた水が、常に問題のない水だったわけではない。
ただ、異常が起きている瞬間を見ていなかった。
そして皮肉なことに、数値測定を最も熱心にやるのは、いつも異常が起きた後だった。

病気は、原因ではなかった
養殖されている魚にとっては、その一時的な環境変化でも十分だった。
急激な環境変化によって魚体がダメージを受ける。
食いが落ちる。体力が落ちる。
そして結果として感染症が発生し、斃死につながっていく。
表面に見えていた「病気」は、原因そのものではなかった。
施設の中をどれだけ探してもわからなかったのは、そのためだった。
餌にも大きな問題はなかった。
設備にも大きな問題はなかった。
管理にも大きな問題はなかった。
普段測っている水質にも問題はなかった。
問題は、施設の外から、ごく限られた条件のときだけやってきていた。
「海水である」という前提
しかもそれは、
「海から吸い上げているのだから、海水である」
という、誰も疑わなかった前提の中に隠れていた。
原因がわかったあと、この現象が再び起きた場合にも魚への影響を抑えられるよう、施設の運用を含めた対策まで設計した。
何度調べても問題がない。
それでも、生き物だけは異常を示している。
そういうとき、まだ見ていないものがある。
今回の場合、それは設備の中ではなく、海の流れだった。
そして最後まで疑っていなかったのは、
「海水を取っているのだから、入ってくるのは海水だ」
という前提そのものだった。

本事例の掲載について
本事例は実際の顧客案件です。守秘義務および顧客の利益保護の観点から、魚種、疾病名、地域、施設情報、具体的な対策など、顧客や施設の特定につながる情報は掲載していません。
また、掲載写真に実際の現場写真は使用せず、本案件とは無関係のイメージ写真を使用しています。